1976年からレース専門誌を買いはじめたんですが
実家に置いていたところほとんどすべて処分されて
いました(>_<) そのほんのわずか残っていた本
の中からスキャンしてみました
84年の開幕戦、ブラジルGPが載ったものより
開幕戦なのでルーキーたちが紹介せれてます。「A.S.ダシルバ」という
人はアイルトン・セナのこと。エイトン・センナと書かれるのはもうちょい
先になってからのことです。前年、イギリスF3で右上のブランドルと争っ
ており、ブランドルは後に「セナとデットヒートで僅かに破れた」とほざい
てましたが実際はセナの足元にも及ばなかったんです
んでこの時点ではセナより上中のステファン・ベロフのほうが期待され
ていた新人だったんです。しかしながらこの年の夏、耐久レースでポル
シェ956でスパのレース中、オールージュでジャッキー・イクスと接触し
ガードレールに激突、死亡しました。もし生きていればシューちゃんより
先にドイツ人として初のチャンピオンになっていたかもしれません
セナはトールマン(現ベネトン)でデビューを果たしました。あんまし
カッコいいクルマではないですね。 あ、わたしはセナのファンでは
ありませんからね、ていうか逆にキライです。コイツ新人の頃すご
く卑怯なことしてましたので。晩年は「F1の貴公子」とか言われて
ましたがオイラは「コイツのどこが?」と思ってました
そのレースのグリッド表。マンちゃんはこの年から急に速くなって
いきます、でもムチャクチャなレースをしていましたが。3人はもう
亡くなってる
前年のチャンピオン、ブラバム.BMWを駆るネルソン
ピケットです
ピケットはこの頃が速さのピークだったように思います。このあと
87年にもう一度チャンピオンを獲りますが、速さよりうまさで獲得
したチャンピオンだったと思います
レースの優勝者はアラン・プロスト先生。速さでいくとプロスト先生と
ピケットが群を抜いていました。この二人はホントに天才だと今でも
信じています。プロスト先生は晩年のイメージで「強いがセナより遅
い」とヌカすバカどもが多いんですがとんでもない!本当に速かっ
たんですよ
同じ号に載っていた国内の耐久レース。トップにいるのは
トムストヨタ83G、運転は松本恵二と中嶋悟先生。中嶋先
生はホンダのイメージが強いんですが、この年はF2はホ
ンダで、耐久はトヨタで走っていました。2番手にいるのは
星野一義先生と故萩原光のマーチ83ニッサン、その後ろ
はイセキポルシェ。トヨタはこのあと「トムス84G」という傑作
を生み出してきます